🪽自分に必要なヘルプの形が、一般化される未来

 真っ白なセミナールームのようなところで、ホワイトボードに図を書きながら必要な事を説明しているMaiさんがいます。受講者は18人位でしょうか。熱心に聞いた事をメモしているようでした。

前の方に座っている数人は、メモを取らず真剣なまなざしで聞いていました。 少し後ろに座っている人が、熱心にメモをとって、頷きながら聞いていました。 ある程度説明したところで、質問はありますか?と聞いてみると、メモを取っていた人がとんちんかんな質問をしていきました。一生懸命にメモしていたのに、どうしてそこを理解していないの!?とMaiさんは驚きとショックで絶句していました。 すると、前の方に座ってメモを取っていなかった人が後ろを向いて「それは…●●という事だと思いますよ。」とさらっと答えてMaiさんの方にも、こういう事で合ってますか?と聞いていました。 Maiさんは、その通りです!とほっと肩を撫でおろしていました。 ほっとしたのと同時に、こんなにも図で説明して、冊子まで作って、しかも熱心に聞いてくれているのに伝わらない…。何故、、と落胆していました。 もうこんなの、どう頑張っても無理なんじゃない?説明してもしても終わらないんじゃない?と感じていました。
セミナーが終ったところで、後片付けをしているMaiさんの所に、ちゃんと理解している受講者がやってきて話しかけていました。Maiさんの落胆を見ていて、気になったようです。 受講者の方は、他の8割の受講者が理解しない事を察していて、過去の話をしてくれました。最初は自分もあちら側だった、と。良かれと思ってあれこれやっていたけれど、本当に求めておられる事はそれじゃなかった、と気づいた時にショックだった事など、話してくれました。 では、どうして理解できるようになったのかと言うと、経験を重ねるうちに、愛だと思って差しのべていたヘルプの形が求められていない物だと分かったから、と。また、理解する人が徐々に周りに増えていったから、自然と認識が広がって行った、との事でした。そして、今はそれを広める事に努めています、知らないと分からないのは仕方ないと思うので、と。 それを聞いたMaiさんが、この人も最初は知らなかったんだ…と思い、驚きながらも、そういう事だったのか、と思ったようでした。 まだ胸のあたりがざわざわとしていましたが、希望の光が見えてきました。 Maiさんの必要なヘルプの形を理解してくれる人がどんどん増える未来が希望の光の中に見えて、それがまるで珍しい事でもなく、それが普通の世界ができていました。 それを見ると、ふわーっと苦しい思いがとれてゆく感じがしました。 ああ、そうだ、時代はこうやって変わって行くんだ。昔はきっと生きづらくて仕方がないひと、人権を追いやられる人がもっといる世界だった。その中から、徐々に徐々に改善していったこの世界を生きている。私達には希望がある、きっと変わって行く。助けようとしてくれる人の中には理解に努める人も出てくるだろう、きっと良くなっていく!と思ったところで、辺り一面が真っ白い光に包まれました。 Maiさんの輪郭が少し視えたり、消えたり、でもハートチャクラが黄色に光っているのが視えました。 ふわふわと幸せそうなエネルギーを発していました。 ハートチャクラの黄色が全身に広がっていきました。
不思議と安心感だけでなく、自信のようなものと強さが出てきていました。 何だか、大丈夫!と思える気持ちで前を見ているMaiさんが視えました☺




支援の方向性について。この3、4年自分なりに、どう伝えれば必要なことにつながるんだろうとがんばってやってきた。
福祉や看護の人たちや、ボランティアの支援、家族、友だち、大切だった人たち、愛していてこの先もずっと一緒にいたかった人、息子も。
でもなかなか理解にはつながらないことが多い。



でも10年前と今じゃ、日本人の発達障害に対する認識も大きく変化したし、自分もまた、昔はどう助ければいいか、同じ特性を持つ大切な人に対しても、本当にわからなかった時期がたくさんあったなと感じた。


今は、理解が進めば進むほど、そこに周囲の理解が届かない時に苦しくなるけれど、この世界が変化してゆくところをただ、見守ってゆけばいいのかもしれないと、希望を感じた。


過去、そして今、そして未来に橋をかけてゆこう。

きっと、自分にとって必要な人に巡り会えたり、みなに気づきが訪れながら、この世界はよりよくなってゆく。





日本での暮らし。

トイレのドアを開けてもらいたいのに、気づいてもらえずに漏らしてしまったあと、みんなが手厚く、優しく💩の処理を手伝ってくれるようなそんな世界。
それはとても苦しく、ただドアが開けれないことに気づいてほしい、と散々思ってきて、でもきっと時代は変わってく。みんなが、ドアを開けられない人がいるんだ、でも開けてあげさえすれば、ひとりで用を足せるんだと気づいてゆく変化に、希望を託す。

海外の日本人からの視点はいつも、自分の混沌とした頭の中を少し整理してもらえるようで、ありがたい。

確かに、日本の共感能力?というものが良いものに違いない!と吹聴する人のなかに、「漏らしちゃっても大丈夫だよ!拭いてあげるよ!着替えかしてあげるよ!」と言ってあげる事が、最重要だと思っている層が多いのは感じます。。。 ドアを開ける事に気を遣う文化も日本文化の中にあって、、それが相手の大事な世界に足を踏み入れる、みたいに思っている部分や、自分のやっている事が正解か分からない、という恐怖…。 でも、良くも悪くも、いちど何が必要なのかが分かって、それを率先して良い事だ!と誰かに太鼓判を押してもらったら日本文化の中では一気に広まっていくという、ちょっと心配になるほどの柔軟性もあると思います。


Yoiさんのコメント。日本人の底なしの優しさが、別の場所にもっともっと使われてゆくようになることをいつも祈ってる。























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